村上正樹裏プロフィール-Jazzとの出会い
- MM
- 2017年12月16日
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村上正樹裏プロフィール-Jazzとの出会い

安保反対闘争の激しい中、学校封鎖を良いことにコンガ担いで北は北海道、礼文島から南は米国統治下の沖縄まで、演奏旅行に明け暮れた。
元々ラテンギターをやっていたが、「有馬 徹とノーチェクバーナー」の「モンキー長谷川」のボンゴのあの乾いた音(甲高い音)を聴いてから、パーカッションに興味を持った。学生時代、「ダン池田とアフロキューバン」で「キャバレー月世界」でボンゴを叩き、相棒のコンガの「吉田 豊」は早々と「ロス・インディオス」入り、自分も音楽事務所に就職が決まったが、両親の猛反対でやむなく時計メーカーに就職。
3年後、「ミッキー安川」の「ふうらい坊留学記」に騙されて渡米し留学。82年にTMIを立ち上げる迄は英語漬け、読んだ英書は500冊、今や英語の速読を最も得意としている。大学在学中は有名TVプロデューサー宅に居候し、「サミー・ディビスJr.」に会った。「ニール・セダカ」、「ポール・アンカ」も家で生で聴けた。中でも「イーグルス」には一番苦しい時に癒やされた。唯一残念なのは、「エルヴィス・プレスリー」と「マリリン・モンロー」に会えなかったこと。
留学生仲間には「オリビア・ニュートンジョン」。彼女はオーストラリア出身で「捕鯨は絶対反対」で、いつも日本批難で喧嘩ばかりしていた。「そんなに日本が嫌いなら絶対に来るな」、「行く訳ないでしょ」が、今日本で金儲けしている。
友人は「ダイアナ・ロス」のスクールボーイをしていたから、よくベバリーヒルズの家に遊びに行った。彼女は時々ピアノ弾き語りで歌ってくれたから大好きだった。一方、「秋吉敏子」がLAにいた頃、娘の「ミチル」のベビーシッターもやった。いつだったか秋吉さんが日本に演奏旅行で留守だったので、 NYCで旦那のサクソフォニスト、「ルー・タバキン」と寿司屋で2人でクリスマスを迎えた事もあった。5年前のTMI FMI米国研修の週末に、15年間住んでいたNYCのコンドミニアムの1Fにあるジャズクラブで、おばあちゃんになっていた「コニー・フランシス」と再会。皆で写真を撮ったのも、ついこの間。
TMIをLAで立ち上げ、今や東京・NYCベースでTMIコンサルタンツとして35年。湾岸戦争あり、イラク戦争あり、LA大地震、LAのロドニーキング事件の大暴動、神戸大震災の前日に中国から帰り、大阪に居た。9.11テロの時はマンハッタンに居て、3.11東日本大震災の時は青山一丁目の地下鉄の中。運が強いのかな・・・。
何とか今まで仕事が出来て来たのも皆様のおかげです。毎年、感謝の気持ちを込めてJazz Nightを企画しています。メンバーは山ノ内の声かけで、人気の若手実力派揃いです。