top of page

Vol.019 Pepperdine University(ペパダイン大学)マリヴ校での授業が始まった

  • MY
  • 2023年10月19日
  • 読了時間: 8分

村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記- Vol.019 Pepperdine University(ペパダイン大学)マリヴ校での授業が始まった。


ペパダイン大学のキャンパス環境は最高だった。地理的にはカリフォルニア州、ロスアンジェルス市の隣、スペインの匂いが残るサンタモニカ市から約20マイル(約30㎞強)北上したマリヴ海岸都市に位置していた。サンタモニカ市の南はヴェニスビーチ、ビーチバスケット、スケートボードの発祥地、更に南はサーフィンで有名なマンハッタンビーチ、ニューポートビーチへと続く。サンタモニカ市からマリヴまでは海岸線を高級リゾートハウスが建ち並び、山側は同じく高級住宅地が続いている。


マリヴのキャンパスは500~600mの低山脈の中腹にあった。元々はChurch of Christ(チャーチ・オブ・クライスト)という全米でも最大級のクリスチャンセクトの信者による寄付によって開発されたと聞く。キャンパスの裏にある山道は未だに鹿が居たり、野生の馬も見られ、70年代にはヒッピー村もあった。そして、キャンパスの前の海は、北のサンタ・バーバラまで続く太平洋。



キャンパスライフは南カリフォルニアスタイル


キャンパスライフは南カリフォルニアスタイル。私がペパダイン大学に入学した1973年9月頃は、まだキャンパスが完成しておらず、新しいクルス(十字架)が海に向かってそびえていて、その周囲に緑の芝を植えていた時だった。かなりの学生が借り出されて、私もこの芝の一部をボランタリーとしても植えたのを覚えている。キャンパスのチャーチからは、すぐ前のマリヴの海でサーフィンを楽しむ人が多く、そのほとんどがペパダイン大学の学生である。学生たちは授業と授業の間に、すぐ下の海岸でサーフィンをして、時間になるとクラスに戻る。その姿も男女とも水着のままなので、女子学生のビキニの後ろ姿を見ながら、私も授業を受けていた。このように、このキャンパスでは夏のごく当たり前の風景があった。 キャンパスは既にロースクール(法学部)学生寮の増設部分の建築を除き、大部分は完成しているようだった。50mのオリンピックサイズのプール、体育館、テニスコート、サッカー場、野球場、陸上競技場も、図書館も揃っていた。

学生数は2,000人から3,000人と少ないが、入学して1年、2年は寮に入ることがルールとして定められていた。しかし、私の場合は成人に達していることと、社会人としての経験があるということで寮生活は免除され、Woodyの家から通うことになった。

ペパダイン大学はスポーツが結構強かった


学生数は少なくとも(日本のマンモス大学の1/10)クラブ活動は活発で、特にスポーツにも力を入れていた。テニスは全米レベルでも高いレベルにあったようで、私の留学仲間の1人も日本からテニス留学していた。彼の話によると、彼は日本の高校では全国大会で3位になったらしいが、ペパダイン大学ではレギュラー選手にもなれなかったという(ジェリー・チェンといって、現在は赤坂のレストランのオーナーをしている)。

また、野球も強く、西海岸のUCバークレー、UCLA、スタンフォード大学、南カリフォルニア大学等をWCC(West Coast Conference=ウエスト・コースト・カンファレンス=西海岸大学チーム)を組んでいた。そして、常にペパダイン大学はトップクラスにいた。ベースボールでは何人ものMLB(メジャーリーグ)プレイヤーを生んでいた。広島県出身の人は誰もが知っていると思うが、かつてマイク・ホプキンスというピッチャーが、4、5年日本でプレイしていた。その後、彼はアメリカに戻り、予定通り医者になった。同じ頃、ヒューストン・アストロズでプレイをしていたピッチャー、マイク・スコットがいた。

彼も何回か日米野球に選抜されて日本でプレイしたことがあると、ペパダイン大学の学校新聞「Wave」で読んだ。彼は読売ジャイアンツのピッチャーに魔球を教えて来たと語っていた。もう1人、同級生でジェフ・スチュワートという人がいた。彼は卒業後、アメリカのデトロイト・タイガースに入団したが、4、5年プレイした後は父親の仕事でアラスカに行き、オイル関係(石油の採掘)の仕事に就くと言っていた。探せばもっといるかもしれない。バスケットボールのチーム「Waves」も強かったし、テニスチーム、水球なども全米レベルだった。


野球に話を戻すと、私がペパダイン大学で学んでいた頃、日本の大学野球チームで法政大学の江川卓というピッチャーが、南カリフォルニア大学に短期野球留学に来ていた。江川の剛腕は、すぐ大学野球チームの間で話題となり有名になった。江川が投げると、敵も味方も関係なく素晴らしいピッチングを称賛していた。私も何回か彼のピッチングを地元UCLA、南カリフォルニア大学に見に行った。南カリフォルニア大学とプレイする時は必ず「江川を出せ!」との声が球場に響いていた。


テニスでは、こんな事件があった。私が卒業して起業し、アメリカと日本を行き来していた頃の話になるが、福岡県出身の国会議員の1人、名前は忘れたがファーストネームは確かジュンちゃんと呼ばれていた人がいて、この人が学歴詐称で、弁護士を通して学校から卒業証書を取り寄せるとか揉めていたが、(多分、彼はテニス留学をしていたのではないかと思われるが)卒業証書は弁護士を通す必要は全くない。卒業生の全員に「アルムナイ(アラムナイ)」(alumni)という過去から現在までの3、4cm位の最新名簿リストが配られる。今の時代ならば、SNSやEmailで簡単に大学に問い合わせ出来る。この頃は何件か同じような事件が話題になっていた。野村監督の奥方もコロンビア大学を卒業したことになっていた。平和な時代だった。


特に、前述のジュンちゃんの場合は、彼はウエスト・ロスアンジェルスのLAに進出していたヤオハンの子会社、日本風のカフェテリアスタイルのやきそば屋で働いているのを何度か見ていたので、ロスアンジェルスにいたことはよく覚えている。こんな事件で、ペパダイン大学が日本に知られたことが残念であった。


ペパダイン大学は白人の学生が圧倒的に多い大学だった ペパダイン大学は人種に関するルールはないと聞いていたが、圧倒的に白人の比率が多いのは、キャンパスの中を歩くとすぐわかる。恐らく90%以上の学生が白人で、その他の有色人種、黒人、スパニッシュ系、アジア系が少ない。ロスアンジェルスの一般的人口構成は白人が50%強、スパニッシュ系が20%、黒人は15%、アジア系(ジャパニーズアメリカン、コリア系、中国系)が10%程度、そして、その他となっているにも関わらずである。

白人中心大学で有名なのはなぜだろう。宗教的理由なのだろうか。チャーチ・オブ・クライストというアメリカでも最大のセクト(宗派)のキリスト教がスポンサーだからかもしれない。且つ、ハリウッドという場所柄、映画人の子女が多く学んでいると聞く。私立大学だから学費が高いのも理由の一つかもしれない。黒人や有色人種が、そう簡単に払える学費でもない。これらの理由が大きく関係しているのかも知れなかった。

留学生のグループの中には日本人(私も含めた)が、知っている範囲で、4、5名、中国人、コリアンのみならず、オーストラリア人、ブラジル人、メキシカン、アラビック、クウェート人、イラン人、トルコ人など、非常にバラエティーに富んでいた。 更にヨーロッパ、イギリス、フランス、イタリーと世界中の人種が留学生グループを形成していた。ほとんどの留学生グループは問題なく英語を話していて、留学生会というものがあり、月一度程度のグループ会というものが開催されていた。


そのリーダーが、エンリケというブラジル人で、父親はブラジルの政界で大臣をしていると言っていたが、彼の家では普段から英語で生活していると語っていた。クウェートからの留学生は(名前は忘れたが)嘘か本当かわからないが、父親はクウェートの王様だと言っていて、にわかには信じられなかった。後で聞いた話によると、クウェートには1,000人以上の王族がいるらしいので、一国の王ではなく、一族の王様と言うべきかと思う。

同じ留学生仲間で、常に親しく話しかけてくるアフリカ東海岸の国、タンザニアから来ていた黒人のコロンボという人がいて、彼は日本人にとても興味を示して接触してきた。そして「自分の国ではダイヤモンドが取れる。自分の家は鉱山を持っているので、将来日本と取引したい。」と話していた。 また別のイラン人の友人は、親が本国でシューズのメーカーをしており、イランで最も売上げていたそうだ。彼は奥方と一緒にアメリカに来ており、マリヴの山の中腹に一軒家を購入して住んでいた。


更に、珍しいオーストラリア人で、歌手のオリビア・ニュートンジョンという女性がいた。彼女が有名になる前だったが、学校で教会のイベントがある時はよく歌っていた。ご承知の通り、後にジョン・トラボルタと共演した「フィジカル」でブレークした歌手であり、私とは一番相性が合わなかった。彼女は「日本人は捕鯨をして食べている残酷な国民で大嫌いだ」と言っていた。なので、私が「オーストラリアではカンガルーの肉を食べているじゃないか」と反論しても話が合わない。「アメリカの有名歌手は、大抵最後に日本に出稼ぎに来るが、お前は日本に入れないぞ」と言うと「行くわけないでしょ!」と言い放った。しかし、後に彼女が日本公演で稼いで帰ったのは、ご存じの通りである。


とにかく、バラエティーに富んだ留学生グループだった。

 
 
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

#309 Shinjuku N-Town Plaza, 3-12-4 Shinjuku, Shinjuku-ku, Tokyo 160-0022

  • Facebook Clean
  • LinkedIn Clean
  • Twitter Clean

© TMI Consultants, Inc. / Techni Marketing International, Inc. All rights reserved

bottom of page