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Vol.016 Jim(James) Milkin氏との出会い

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  • 2023年9月11日
  • 読了時間: 5分

村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記-Vol.016 Jim(James) Milkin氏との出会い


英語の特訓を受け、留学生時代が価値あるものとなった。


カリフォルニア州、ロスアンジェルス郡のサンタモニカの海岸を走る国道1号線(PCH=パシフィック・コースト・ハイウェイ)は、私の留学時代、恐らく最もよく車で走ったハイウェイだった。そのハイウェイに沿って崖が連なり、その上に約1マイル(1.6km)に亘り、パームツリーが連なる芝の公園があり、それがサンタモニカ公園と呼ばれていた。

アメリカに来て、カメオハウスから、ウェストロスアンゼルスの仏教会の寮に移ると、

ほぼ毎週のように、このサンタモニカ公園に来ていた。


英語を少しでも話す機会を探して歩いている時だった。芝の上でパームツリーを背にして、マンドリンで日本の音楽を奏でている人がいた。彼は私の方を見て話しかけるかに見えたので、私から「これは、日本の音楽ですよね?」と聞いたら、彼は「そうです。荒城の月です。あなたは日本から来たのですか?私は昔、日本に行ったことがあります。」

という話から発展し、近くにコーヒーハウスがあるから行けませんか。ということになって、公園内のCoco's(ココス)というコーヒーハウス。(日本のファミレスの様なところ)に行った。そして「私はUCLAに留学してきたばかりなので、英語を話す相手を探していました。」と言うと、彼はこう答えた。「自分は、かつて第二次世界大戦で日本と戦った。硫黄島で戦って、沖縄に上陸した。」という経験を話した。


第二次大戦が終わって、地元のケンタッキー州、ルイビル市に帰ったが、その後、日本に興味が湧いて、大学の図書館に行き調べたら、日本に関する本が23冊あって、図書館の女性は、ここケンタッキーでは誰も読まないから持って行っていいですよ。と言って渡されたという。

それで、この本をもらって帰り、読んだら更に日本の文化、哲学に興味を持って、いつか日本のカルチャー、哲学について学びたいと思うようになり、遂に日本に留学したという。何年か日本で学び、大阪芸術大学を卒業してアメリカに帰り、アメリカを転々として、今、サンタモニカに住んでいる。あまり定職にも就かず、サンタモニカで人生をエンジョイしているという。


そして、彼から初めて鈴木大拙、西田幾太郎等の哲学者の名前を聞いた。この2人の名前は後にペパダイン大学の宗教の授業で再び耳にすることとなる。コーヒーショップに入って彼は言った。「日本では、日本人に本当に良くしてもらった。その人たちとはもう会えないが、良かったらその人たちへの恩返しとして、君に英語を教えてあげよう」という話になった。そして、ほぼ毎日、少なくとも週3から4日は、このサンタモニカ公園で会うこととなり、行動しながら普段使う日常会話をどんどん教えられた。それこそ生きた英会話というものであった。


コーヒーハウス、Coco'sではテーブル(席)の予約の仕方、コーヒー、料理の注文の仕方に始まり、ウェイトレスに感謝の気持ちの伝え方、例えば、「Coffee is not good, but a company is good.」(コーヒーはそれほどでもなかったが、あなたがいい人だったから、コーヒーも美味しかった)などである。そうすると、ウェイトレスは喜んで良くしてくれた。更に、友人との会話の入り方、進め方等も教わった。何より、既に学生ではないので、大人の英語をはじめから話してくれた。


後にペパダイン大学へ転校した時に聞いた学生英語には非常に戸惑ったことを覚えている。殆どの学生が発する挨拶は「What's up?」であり、「What's going on?」であり、「How are you doing?」であった。「How are you?」「I'm fine, thank you」が、日本で学んだ挨拶の常識だったが、このフレーズは誰も話していなかった。代わりに「How's everything?」が常套句だった。



Jimは時々、自分の家に私を招待して、夕食ご馳走してくれた。自宅といっても彼の住まいはキャンピングカーだった。ケンタッキー州、ルイビル市から数年かけて移動して、サンタモニカへ着いたという。古いアメ車で牽引してきたキャンピングカーは小型バス程度であったが、寝室、キッチン、バスルーム、シャワー、リビングが備わっていた。1人で生活するのに十分のスペースであった。そしてここには同じような生活をする100台以上のキャンピングカーが並んでいた。


アメリカには、このような場所があちこちにあり自由に動けるようになっているという。それは必ずしも高齢者ばかりではなく、若いファミリーも多いという。彼らは自由に動きたいのだろう。

日本では住民票とか住民税とか定住する住所が必要なので、キャンピングカーで移動しながら暮らすというライフスタイルに驚かれる。恐らくキャンピングカーで生活する人たちがいることが日本で有名になったのは、不名誉だが、サブプライムローン問題で、家を奪われた人たちが住んでいる地域があることをニュースで聞いた時だっただろう。


Jimとの交流の中で最も大事だったことは授業への支援だった。特に宗教の授業では大変助かった。UCLAからペパダイン大学へ転校した後に、宗教、つまり、旧約聖書(Old Testament)、新約聖書(New Testament)の復習の小論文テストで苦労していた。このクラスでは毎回、授業の最後に小論文テストと称し、サブジェクト毎に課題が出され、翌週の授業に提出することになっていた。

宗教科目は、というより、キリスト教については何の知識もなかったので、非常に苦労しながら提出を余儀なくされた。そして、Jimに毎回私の書いた小論文の添削をしてもらった時に彼に言われたことは「できるだけ難しい単語を使わないで、自分で話せるレベルの英語で書くように」ということだった。テストで辞書を引いていては間に合わないという。しかし、実際に自分の話せるレベルを英文で書くと、がっかりするほど幼稚な文章しか書けなかった。最初は辞書を使わず不安があったものの、徐々に慣れてきて、みるみる単語も覚えていき、彼の理論が正しいことが証明された。


Jimとはペパダイン大学在学中はずっと友人として、先生としてお世話になりっぱなしだった。ペパダイン大学卒業後は、就職でニューヨーク市に移ったため、会う機会もなくなってしまったが、常にどうしているか気になっており、懐かしさがこみ上げてくる。アメリカに来て、お世話になった大切な人の一人である。

 
 
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