Vol.023 英語にまつわる話 - 英語修行
- MY
- 2024年2月25日
- 読了時間: 20分
更新日:2024年4月14日
村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記- Vol.023 英語にまつわる話 - 英語修行の巻
2022年には世界の人口が80億人を超えた。その中で英語を話す人は13億2000万人と言われる。第2が中国語、第3位がヒンズー(インド)語、第4位がスペイン語、第5位がアラビア語と、ほぼ人種の順位に沿っている。英語を母国語としているのは3億5000万人程度と言われているので、ほぼアメリカ人とイギリス人ということが言える。つまり英語を世界語として話す人の割合は30%程度で、70%の人はメインで英語を話していないということになる。それでも英語は世界語である。(実は、アメリカではコケージョン(白人)の割合がどんどん減少し、ヒスパニック系が増加している。それに従い、言語もスペイン語を話す人がどんどん増加していて、遠い将来アメリカの母国語はスペイン語になるかもしれないとも言われているが。。。)
私はTMIの仕事で過去40年以上に亘って、世界50ヶ国ほどビジネスで訪問したが、英語が通じない国はなかった。あの気位の高いフランスでも英語で対応してくれた。アジアの小国はもちろん、ヨーロッパ、東ヨーロッパでも英語で話をすることができた。
なので私の第2外国語のフランス語も第3外国語のスペイン語もならず、いまだに修行中の域を出ないでいる。
日本人の英語力が時々話題になるが、2021年の教育リサーチによると、世界112ヶ国中の78位だという。アジアでは24ヶ国中13位だというから、アジアにおいても下位クラスである。日本人が英語が苦手なのには、幾つかの理由が考えられるが、最初の事のエンカウンター=出会いが悲劇だったと思っている。This is a penから始まるJack & Bettyの教科書に出会ったのは中学時代だったと思う。英語で40年、45年生活していたが、いまだに人に会って、これはペンです。と紹介したことは一度もなかった。なぜI、My、Meという主語から習わなかったのだろうか。いったい誰がこの教科書を選んだ(作った)のだろうか。
更に余談だが、英語と日本語では文法が異なるということで、学校ではアウトプットの会話や英作文などではなく、読解力や文法のインプットしか教えなかったし、そもそも英語が話せない教師ばかりで、今のように外国人(英語ネイティブ)の教師もいなかった。
つまり、英語が話せる教師がいない中ではインプットすることしか教えなかったのである。従って、すぐに生徒の大部分は英語離れを起こしてしまう。
会話を必要としないTOEICが満点でも話せない人が多くいる理由でもある。英検は英語でインタビューが必要なので、同じスコアホルダーでも英検の方が重要ではないだろうか。
とはいえ、今ならばオンライン英会話も英会話アプリも盛んで、小学校からの英語教育と、日本人の英語への投資額は常に増加していそうだ。実際にオンライン英会話で英語ティーチャーをしているフィリピノの友人に聞いたが、今は学校で教師が英語を話さなくてはならなくなったので、オンライン英会話の生徒になるケースが非常に多いそうだが、プライドが邪魔をして、なかなか上達しないと言っていた。また、熱しやすく冷めやすいのか、日本人は小中高大学と長年英語の勉強をしているにも関わらず、その英語ティーチャーによると、オンライン英会話の生徒の9割がビギナー止まりという。時代が変わり、留学という覚悟も要らない折角のチャンスで恩恵なのだから、ものになるまで頑張って欲しい。
さて、私はそういうインプット中心教育の環境で英語に接したため、その後、しばらく面白くない英語から距離を置くことになったのだが、英語への興味だけは持ち続けていた。それは自分の親類で英語を話し、仕事をしていた人が近くにいたことと、英語を学ぶ適切な機会に出くわしたことによる。しかし日本で本格的に英語を学ぶには日本の米軍基地へ行くしかなかった。私は日本の大学を卒業し、セイコー社へ就職し、福島の須賀川工場から東京本社へ戻った時から本格的に英語に取り組み始めた。
新宿で英会話教室2ヶ所に通った。当時、英会話学校といえども毎日は行われていなかったので、2ヶ所で毎日埋めるしかなかった。さらに土曜、日曜は父親のコネで米軍の立川基地で働く日本人通訳の方に英会話の基本、発音などを学ぶことができた。この経験が英語への興味をさらに高めたし、アメリカ留学への欲望を更に高めたことは間違いなかった。
1971年の9月だったが、ロスアンジェルスのUCLAに入学が決まり渡米した後、翌年の春入学までUCLAの下部組織の運営するISC(International Student Class)国際学生協会で数ヶ月間、英語のクラスを取っていが、そのほとんどがUCLAの入学を許可された人たちで、世界各国の学生が英語のブラッシュアップのために参加していた。中には数人の日本から来た学生もいた。そして中に名前はわからないが威勢の良い日本人女性が1人いて、女性の学生先生(スチューデント・ティーチング・アシスタント)の英語が理解できない時に、発する言葉が強烈だった。周りの人のことは構わず「リピート!」と何度か繰り返し叫んだ。「わかりません、もう一度言ってください」という意味で言ったのだが、直訳すると「くり返せ!」となり、先生も何度も聞かれると頭にきて「わからないなら、出て行け!」となってしまった。「UCLAに入学したいのでしょう?この程度がわからないなら、行く資格はない」という態度であることはミエミエだった。中には学生からのつたない英語の質問の意味が全くわからない教師もいた。よくよく考えて講師が「何故、あなたの英語がわからないかがわかった」という。「あなたの英語には”動詞”がない」ということだった。それに対してモロッコから来た留学生は平気で「私は動詞が好きではありません」と言い、笑い話で終わるケースもあった。中にはせっかくUCLAに入学が決まっても、この英会話教室の学生先生に見染られて、同棲し入学を諦めた人もいた。
今、問題となっているのは、日本からアメリカの大学への留学生が減少していることである。つまり将来の国際間での人脈が減少していくことで、国際的政治、ビジネスの交流の機会が少なくなることへの懸念である。世界は留学生の横のコネクションで広がるケースが多い。私自身、社会人となった後に留学生仲間にそれぞれの国で助けられたこともある。
私が留学した1971年の話だが、海外へ目を向けるきっかけとなったのはテレビ番組で「兼高かおる、世界の旅」という30分番組があった。この番組が世界の国々のライフスタイル、観光地、政治経済について知るきっかけとなり、世界へ目を向けるようになった。この当時、日本から海外へ行った人が年間20万人を超えたとニュースで伝えたのを聞いて、こんなにも世界へ出かける人が多いのだ!と知って、私の中では一つのショックだった。それが私のアメリカへの留学をひと押ししたのは間違いなかった。今の時代は1000万とも2000万人という人が外国へ行っている時代だが、海外へ行く目的は、当時はビジネスか留学しか考えられなかった時代である。留学生として、どれ位の人が海外へ行くのかは明らかではないが、明らかに留学生が少なくなっていることが多く報道されて、危機であると言われている。
少し古い記事になるが、2014年9月14日の新聞で、アメリカ ライシャワー、東アジア研究所のケント・カルダー氏の記事によると、ジョーンズ・ホプキンス大学院(政治学で有名)では、日本研究への関心が高まっているのも関わらず、日本からの留学生の数が減っているという。この日本研究専門の学生は2年前の2倍になっているが、相反して日本人学生は減少し続けて、全米で2万人を下回っているという。国別の留学生数では7番目で、日本の人口の6分の1の台湾よりも少ない。特に、この20年は悪化しており、1997年度は4万7000人以上もいたのに、それが半分以下に減ったということになる。一方で中国人は5倍、韓国人学生も1.5倍増えており、日本人の存在感が薄れている。実際にTMIでアメリカの小売業の視察などで、現地の人から「Are you a Chinese?」と、まず中国人か最初に聞かれる。
問題は留学を通して構築する人的ネットワークが将来の国際関係の源泉になることで、アクセスが将来作られることだ。
なぜ日本は中国や韓国と相反する方向に向かうのか。6つの基本的要因があるという。第1に高齢化社会への移行で若者が少なくなったこと。第2に文化的特徴で日本人はリスクを取りたがらない傾向にあり、それ以上に日本が他国よりもあまりにも快適な環境にあるからだという。更に言うならば、野心がない、内向的で30年間も賃金が上がらない国で留学などとんでもない、危険を今更犯したくない、安心・安全・安定を求めている。つまりハングリー精神がなくなったということである。
日本人は物理、化学でノーベル賞受賞者を何人も輩出しているが、そのほとんどが1960年から1980年代の研究成果に基づいており、過去の業績によるが、今後はかなり少なくなるかもしれない。更に言えば、研究や開発を行うために資本や投資に乏しい日本ではなく、海外に出て行く人も多い。
海外から日本に来る外国人の質が変わった
一方、日本人が観光として海外に行く人は増え続けている。円がドルに対し150円と大幅な円安にも関わらずあまり減っていない。逆に円安は海外から日本への観光客の増加を促し、年間2000万人以上を惹き付けているという。しかし、テレビでおなじみの番組を見ても、観光地にいる外国人を見ても、昔の外国人とレベルも質も大きく変わってきたとしか考えられない。
偏見があるのは承知の上の話だが、昔、我々が接してきたスーツにネクタイのビジネスマンを見かけるのは東京都心部の一流ホテルに宿泊するビジネスマンだったが、本当に少なくなった。一方、私の住んでいる所がサブカルのメッカ中野だから仕方がないが、駅前のサンモール商店街や中野ブロードウェイで見かける外国人はその真逆である。
アニメ、フィギュア、コミック文化が動機で日本に来たという変わった髪の色と服装をしたTATOOが見事な外国人ばかり目に付く。レストランで彼らの会話を聞いていると明らかだが、教育レベルが高いとは思えない連中ばかり目にする。一時的な観光収入を上げるためのインバウンド政策としては、うまくいっているのかもしれないが。
話を英語のブラッシュアップに戻すと、アメリカの大学に入った時、またその後に起業した時にも、英語の通訳の仕事がついて回った。大学時代にベパダイン大学でピーター・ドラッカー教授のセミナー通訳を行った時が、私の通訳としての初めての経験だった。それまで通訳という業務について、あまり考えたことはなかったし、通訳といっても最初に教授に言われた通り「マネジメント」という新書の最初の部分、ビジネスパフォーマンス、サービスインスティテューション、プロダクティブワークとアチービングワーカーまでの約300ページを読んでおけと言われて、何回か読んで通訳に臨んだ。読むのと訳すのとでは大きく異なり、教授の話は非常に簡潔でわかりやすかった。2時間(実際の話は1時間)の授業だったが、初めての経験を無事にこなしたという感じだった。その時はその後の人生で、これだけ通訳に関連した仕事を行うことは、もちろん念頭にはなかったが、この経験から通訳業務にも少なからず興味を持った。
本格的な通訳業務が舞い込んできた。そして体力が鍛えられた
通訳という業務がこんなにも体力が消耗するものだとは思わなかった経験がある。ベパダイン大学の4年生の夏だった。友人の南カリフォルニア大学の職員だった佐野君(UCLA卒業生)からの依頼で、夏に南カリフォルニア大学で組んだ日本人ビジネスマン向けの2週間コースが提供されるが、通訳を探しているが見つからず、やってくれないか。との相談があった。この当時、アメリカの色々な大学で短期講座が外国人向けに提供されており、日本の企業相手にこのプログラム”I Bear(アイベアー)プログラム”と称し、短期講座の証明書を発行して金儲けのために行っていた。
この一連のプログラムを南カリフォルニア大学が主催して日本の企業が学びに来るという。2週間コースなので、私が頼まれたのは2週目の4日間(日火、木金)だった。基本はビジネス科目ばかりなので、その当時はそれほど難しいとは感じなかったが、初めての同時通訳の経験だったので、まったく新しい体験ができたことは非常に有意義だったし、またこれほど通訳という業務が体力を消耗するものだとは思わなかった。当時、通訳についてあまり深く考えなかったが、これをきっかけにして改めて通訳業務について考えを巡らすようになったのも事実である。そして、この経験が後のTMIの起業を行う時に大きな比重を占めるようになったのであった。
通訳には大きく分けて、逐次通訳と同時通訳がある。敢えて言えば、一般通訳と呼ばれるもの、例えば観光業などの通訳もあるが、ここでは逐次通訳と同時通訳について話してみたい。日本人が日本のテレビの前で聞く通訳は概して同時通訳が主体であり、逐次通訳を聞く機会はまずないだろう。つまり逐次通訳はビジネスでの講演やセミナー、ビジネス交渉時の通訳時に使われ、かなりの精度で正確性が求められる場合には、逐次通訳が好まれる。
日本で同時通訳、英語で言うとサイマルティニアス・トランスレーションないしインタープリテーションという。サイマルというのが同時という意味で、日本ではサイマルインターナショナルという会社が通訳の派遣を行った最初の会社だと聞くが、主に政府関連の政治、経済中心の会議等の通訳派遣会社として有名である。1969年12月20日に始まったアポロ宇宙中継だったのを記憶している。ロケット打ち上げから、月面着陸、移動、帰還までの衛星中継の生放送で、アームストロング船長と宇宙飛行士の会話を中継した。通訳したのはアメリカの日本大使(当時の)だったエドウィン・ライシャワー氏の通訳だった日系2世の西山 干(カン ニシヤマ)氏で、彼は大学で宇宙工学を学んだとのことだったので、この通訳の仕事は彼にとって何の問題もなかったが、問題は中継中に宇宙飛行士が話す言葉が少な過ぎたことくらいだったと思う。しかし、この放送が同時通訳という仕事があることを日本国民に知らしめたことは間違いないと思われる。
話を戻すが、通訳には同時と逐次通訳の2つあると言ったが、私の経験から言うと、どちらが難しく、どちらが易しいかという問題ではなく、いずれもその性格が異なって難しいの一言である。
通訳するという行為は単に言葉を一つの言語から他の言語に訳すというより、文化を伴うケースが多々ある。だから異文化コミュニケーションを処理することだと言われる。従って文化が異なれば間違った通訳をすることだってあるわけで、これが一番の問題で、後で誤訳について語ってみたいと思う。
まず同時通訳の場合の難しさは何といってもスピードである。日本語と英語では文章構成の順番が異なるので、日本文が肯定文なのか、否定文なのか文章の最後の言葉を聞くまでわからないことがある。英語の場合、最初に肯定文、否定文の明示がされるので問題ないが、これが通訳をとまどらせる一つの原因ともなる。しかし、ほとんどの通訳者は肯定文を否定文に変えたり、その逆の手法の技術を身につけているので問題はないが、日本人でやたらに純日本的な言葉を使う人がいる。
例えば、結構です。善処する。前向きに検討する。の類である。イエスかノーかがはっきりしない。英語にはイエスとノーとの中間がないから通訳しようがない。人によっては善処しますをI will take care of it. という人と I will do my best. という人もいる。前向きに検討しますはI examine the matter in a forward-looking manner.という人もいる。
いずれも訳を聞いた人は相手がなんと言ってるのかわからない。もうこれは文化の違いとしか言いようがない。日本人の大好きな「ホトトギスの問題」もよく聞く。私も過去に何度も日本人から聞いた「信長、秀吉、家康の違い」である。馬鹿の一つ覚えかと思うくらい頻繁に聞く。問題はホトトギス自体で、ホトトギスは日本以外に生息していない鳥なので訳しようがない。
そもそも、海外では生物・植物などの大きなカテゴリーで名称は言うが、それがが何種何目かというような、固有名詞を日本人のように呼ぶ文化ではない。せいぜい鳥が鳴いている、虫が飛んでいる。花が咲いている。と、それぞれ「なんの鳥」とか「どんな虫」のような細かい話は出ない。
また「話は3割、7割は腹芸で」などと言う人もいて、「腹芸」はなんと訳すかなど、同時通訳の時に考えている時間はない。日本人は自分の知識をひけらかしたいのか、通訳を困らせたいのかわからないが、時として曖昧な日本語をよく使う。つまり通訳が、異文化コミュニケーションの仲介役であるということが、全く理解できていないのか、あるいは買いかぶりすぎて、通訳が万能であると考えているのか。。。
同時通訳の難しさは、これらの曖昧な日本語に遭遇したときの時間的な難しさである。
一方、逐次通訳には逐次ならではの難しさがある。逐次通訳が好まれるのは前述したように講演、セミナー、ビジネス交渉などの場合であるが、特に逐次ではメモを取る技術(人によっては英語の速記記号を使用する)、そしてすぐ訳を意訳する場合も含めて、相手が理解できる日本語に構築し直して再生する両方の技術が必要となる。特にビジネス、ネゴシエーションの場合、誤訳が許されないケースがある。
但し、同時通訳と違って時間的に余裕があるので。話者に確認ができる点は良いが、ビジネス分野の守備範囲が非常に幅広いので、その業界特有の専門性が高く、専門用語のボキャブラリーが求められる。
私の場合、ビジネスセミナーなど、歴史、文化、商習慣が異なるアメリカでのビジネスの話を話者の話だけでは相手に理解されないと判断したら、それに対して、歴史的な背景や補足説明もするので、察しの良い聴講者からは「何故、そんなことまで知っているのですか?あなたは本当に通訳ですか?」とよく驚かれた。日米両方で実務を行ってきたからだろう。
同時通訳の場合は、テレビなどでもおなじみのように短時間で何人かが入れ替わって訳すが、逐次の場合何人も(ビジネス企業が)採用して連れて行くことは不可能(金額的にも)なるため、1人の通訳に時には何時間も頼らなければならないケースがある。人間の集中力もそんなに長くは続かない。せいぜい1、2時間で集中力が落ちてくるので、私の場合は状況に応じてだが、逐次から同時通訳に途中で切り替えることもよくあった。聞いている方も同じく疲れてくると、この切り替えさえも気がつかないうちに進んでいった。逐次は誤訳ができない、その分集中力が要求され、メモを取る技術が成否を分けるなどの難しさがあるのだ。しかもTMIでは1人で一日中、ビジネス研修だとそれを数週間もこなす体力が必要だった。
国連の日本人通訳の人が、逐次ではなく同時通訳なので、英語を聞いたそばから自動的に口から日本語で放出してしまうので、メモを取る必要もなく手持ち無沙汰で、通訳しながら編み物をしているという本を読んだことがある。そのくらい、逐次と同時通訳では疲労が異なる。
しかし、通訳者のレベルがある程度以上になると、通訳の成否はレクチャーラーの資質によるところが大きくなる。そもそもアメリカ人だって話の上手、下手があるわけだし、レクチャーラーが全員アメリカンイングリッシュを話すとは限らない。イングランドのクイーンズイングリッシュ、オーストラリア系イングリッシュなど大きく分けて3つある。さらにアメリカンイングリッシュでもカリフォルニアの英語、ニューヨークの英語、ボストンの英語、そして南部の英語など皆、異なる。更によく聞かれることで「アメリカの標準英語はどこの英語ですか?」という質問が来る。
一応、アメリカでは中西部のオハイオ州あたりの英語が標準語になっているらしいが、やはり中西部の訛りが気になる。私はニューヨークに行った時に「南カリフォルニアの英語を話すね」とよく言われた。当時は南カリフォルニアにしか住んでいなかった(大学時代)ので、当然のことだと思ったが、ニューヨークに住むようになり、ボストンで仕事(デザイン会社に入社して)をするようになり、東部の英語はなんと速いのか!と驚いたこともあった。今では、おそらくニューヨークの英語が私の英語の基準になっているように思う。
ニューヨーク、ボストンの英語や、カリフォルニアの英語の違いはイントネーションの違いとスピードの違いだけのように感じる。私にとってはどちらの英語も生活して覚えた英語なので、どちらも話しやすいし違和感も感じない。
しかし、通訳の仕事をしてみると、レクチャーラーにも色々いて、通訳の出来・不出来は英語を話す人の文化によるところが大きいと思うようになった。
一時期、セントルイスにある食品卸売業の大手、Weltraw(ウェトロー社)の社員研修部のセミナーを日本企業が受けて、その通訳を約3ヶ月間行ったことがあるが、サブジェクトは小売業のオペレーションについてだった。セントルイスはアメリカの中で、中西部に位置しているミズーリ州にある。南部諸州に近いと言っても南部には属していないが、レクチャーラーの1人が南部訛りで苦労したことがあった。発言の中でやたらと「牛」が出てくるので不思議に思いながら訳していた。彼が「カー」英語では「COW」に聞こえ、「牛が…」と訳すと全く文章にならない。何度も何度も「COW」が出てきて、どうしても訳せなくなるので、やむなく話をストップして「なぜ牛が出てくるのだ?」と聞いた。
相手は私の質問を不思議な顔をして聞いていたが、彼は牛の話なんかしていないと言う。そして、一緒に聞いていた別のレクチャーラーが「Masa、彼は”COW”ではなくて”cause”(コーズ)と言っているのだと助言した。つまり「Because=なぜならば」というつもりで南部訛り発音するので、「BE」が省略されて「cause」と発音していたのが、私の誤訳の原因だとわかって、初めからやり直したことがあった。
一般的に南部の人の英語はスローで訛りがあっても何とか神経を集中させれば、わかることが多いが疲れるという印象が強い。同じ南部でもテキサス州の英語はまた違う。TMIで何度も企業訪問でダラスやサンアントニオに訪問したが、チャーターした大型バスの運転手に空港のターミナルはAかBかCのどれだ?と聞いた時に、何度聞き直しても、AかBかCか聞き取れないことすらあった。
テキサスは何でもでかい、州もアラスカに次いででかい、日本の1.8倍もある州である。テキサスのカウボーイが馬に変わりピックアップトラックになっただけで、いまだにでかい顔をしているという印象の州である。テキサスは州がでかいだけではなく、言うこともまたでかい、何でも大げさに発言するが、人間は憎めない人が多い。
私がベパダイン大学を卒業した時に、いち早く就職の誘いがあったのも、ダラスの食品スーパー、コンビニエンスストアチェーンのコロニアルフードだったし、その後ニューヨークでCDI社(デザイン会社)に就職した後にもテキサスには何度も訪問することになったので、特別な思いを持ってコンビニエンスストア中心の開発の仕事を行っていた。後に1990年頃、ウォルマートと知り合うきっかけとなったのもテキサス州、南部のコーパスクリスピー市に担当しているコンビニエンスストアを建設中のことだった。
さて、話を戻すとレクチャーラーの資質によって通訳の善し悪しが左右されると前述したが、日本語も同じことで、話のロジックが明確な人。つまり話の主旨が明確で表現力がある人の言葉は訳しやすい。通訳された経験があれば、ある程度話しやすくしてくれるが、経験がない人は、どこで話を区切れば良いかわからず、ダラダラと話し続ける人もいる。仕方なく話をストップさせるケースもあるが、今度は途中で切られると、どこまで話したか忘れてしまう人もいる。従って通訳を介して話すということは、訳してもらう人も経験を積むことが一つの解決策と言えるだろう。
ごくまれに日本人で通訳にいちゃもんをつける人がいる
ビジネスでは、業界も多岐に亘り、通訳の話題の幅が広いので大変だということは前述した通りで、産業別でも工業、農業、漁業にとどまらず、今ではIT、コンピュータ、AIなど専門分野がますます広がっている。私自身は工業(精密機器メーカー)出身で、ITに始まり、繊維、アパレルファッション業界、日雑、化粧品、食品メーカー、卸売業、流通業全般、それとAI・人工知能(Expertシステム、ナレッジシステム、ルールベースシステム)を実際に開発した経験もあったので、かなり広いビジネス分野を今までカバーしてきたが、中にはビジネスの通訳をしている人でも、業界が異なると専門分野が異なるので、かなり苦労して訳す人も少なくない。それは経験の違いと言っても良いかもしれない。残念だが、そのような場合、いちゃもんをつけられる可能性がある。
例え、通訳の派遣をビジネスとしている企業でも「何でもできます」という人を抱えているところはないはずで、最も需要の高い分野に徹しているに違いない。