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Vol.006 人種差別に直面し実感したこと

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  • 2022年2月6日
  • 読了時間: 6分

更新日:2022年6月6日

村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記-Vol.006 人種差別に直面し実感したこと


アメリカに留学して初めて人種差別を身をもって実感したことが2回ある。1回目は大学への入学時に感じたことで「アファーマティブアクション」について考えたこと、第2は実際に自分に対し、直接差別用語をアメリカ人から受けたことである。これらのことは日本に居てはまず直面しないし、あり得ないことである。

人種差別については、それまで書籍の中でのことだった。あるいは、テレビ報道の中でのことだった。実際に自分の身に起こるとは思わなかった。直面した時に、どう対応してよいのか分からなかった。


丁度、私がロスアンジェルに来て、もう既にTOEFLのスコアを送り、大学の受け入れが決定した後であったが、この頃(1972年春頃)耳障りの良くないニュースが留学生の間で囁かれていた。アメリカでは、今アファーマティブアクションが議会を通ったため、黒人、メキシコ系、アジア系の学生は入学に有利になるという。つまり、この法律は有色人種は能力が白人より劣っているから、差別解消策として、少数民族、特に黒人、メキシコ系への差別を実質的に解消するために大学への優先入学や企業に対しても、一定数の雇用を義務づけを求めることとなった。


問題はこの法律は逆差別だと白人が騒ぎ出したことである。黒人、アジア系、メキシコ系の入学者を増やすために逆に白人の人数が制限され、しばしば成績の良い白人の入学が排除されているという。これは逆差別であるというのが白人の主張であった。他の大学のことは分からないが、UCLAの場合、全入学者の4-5%程度が州外、つまりカリフォルニア州以外からの学生、また、留学生の枠として定めていると聞いた。「UCLAは州立大学(公立)なので、基本的には州に税金を納めている家庭の子供達の入学を優先しており、州外の学生、留学生等は例外的事項だったのだろう。」このアファーマティブアクションは、その後廃案になったとも聞いていないので、議論を残したまま生きているのだと思う。廃案になったか否かは分からない。


次に直面した人種差別はペパダイン大学に移り、卒業の年の半分を自分でアパートを探して住もうと思い始めて、アパートを探してた時に直面した。


”There's no room for JAP!!"(ジャップに貸す部屋などない!!)


アパートを探す場合(日本と違い)不動産屋に頼むよりも自分で新聞広告(俗にイエローページという)を見て、部屋数、バス有無・シャワーのみ等の一般情報と月額レント代を見て、ここぞと思ったところに電話して空きを確認し、アポイントメントを取って実際に見に行って決めるというプロセスを取るが、なかなか簡単に決まらない。


私の場合、サンタモニカで探していたので、毎日販売されている夕刊紙(夕刊のみ発行)Santa Monica Evening Outlook紙という地方紙の日曜版が最も有益な情報が多かった、というより、日曜版から新しい情報が掲載されるため、早いもの勝ちで電話する必要があった。


ある時、何箇所か電話して、これは良さそうだと思ったアパートに内見のアポイントメントを取った。そして、見に行き、先方に着いてドアをノックしたら、ドアはすぐ開けられた。そして、いきなり言われたことは、”There's no room for JAP!!"だった。顔を見た途端に言われた。


初めて侮蔑語を浴びせられたが、それ程ショックを感じなかった。理由は簡単でアメリカに来て以来、知り合った日系人からもよく聞かされていたからで、日系二世がガーデナー(庭師)として成功すると、それを妬んでジャップ呼ばわりする白人が居ることも聞いていた。白人の中には、第二次大戦で日本人と戦って、とか、息子が戦死したとか、ガダルカナルで日本人と戦って誰々が死んだ、真珠湾で日本の急襲で誰々が戦死した等、よくある話だった。

実際、私も既に何人からも聞いていたので、驚かなかった。しかし、はっきり言えることは、こういう場面に直面する度に、アメリカに居て、自分は日本人であることをますます意識する様になった。


アメリカに居るが、自分は日本人で良い。アメリカ人にはなれないし、なる必要もない。故に、正樹=マッキー、マークなどのアメリカンネームは付けないことにした。その後、数十年のアメリカ滞在で全て日本名で通してきた。この頃(1972-1974年)白人以外を指す色々な差別用語を聞くことがあった。JAPだけではない。中国人に対してはCHINK(チンク)だったし、黒人に対してはNIGER(ニガー)だった。ネイティブアメリカンに対してはRED NECK(レッドネック)と呼ぶことがあった。

白人が白人に対して「レッドネック」と呼ぶこともあったが、白人同士の差別用語でいう「どん百姓」と言って蔑むことで、田舎で背に太陽を浴び、年がら年中鍬を振るっているので、首の後ろが真っ赤に日焼けしているのが証拠だという具合だ。

これらの言葉はアメリカに来てから、早いうちに学校やコーヒーショップなどでの日常会話の中で聞いていたので、自分がジャップ呼ばわりされた時も、大きな違和感を感じることはなかったのだと思う。


もう一つ、実生活の中で体験したことがある。友人と映画に行こうということになり、サンタモニカからロスアンジェルスのダウンタウンの映画館に向かう時のことだった。たまたま二人共車がない時で、バスで行くことになったが、停留所には白人が居て、黒人が居て、我々日本人が二人待っていた。いざ、バスが来て乗り込む段になって戸惑った。白人は前の方に座り、黒人は皆後部へ集まっている。真ん中には誰も居ない。

アメリカではかつて、白人と黒人と席が分けられていたことを思い出した。我々、日本人、つまりアジア系はどちらに座ったら良いのだ?と考えつつ、真ん中の席に座ったが、微妙な感じがした。劇場でも、レストランでも、席だけでなく入口すらも分けられていた時代、JAZZの時代、キング牧師の時代に黒人の公民権が認められた1960年代に、もう終わったはずであったが、まだその名残は残って居たのかもしれない。 (余談だが、知り合いがアメリカ人のホームパーティーに招かれ、それぞれバフェを楽しもうと料理を取りに行こうとしたら制されて「料理を取って良い順番は白人、次に黒人、最後がイエロー(アジア系を蔑む言葉)だ。」と、言われて待たされたと話していたので、人によって?イエローは黒人よりも下という認識らしい)


ダウンタウンに行くバスの中で約一時間も、重苦しい雰囲気を経験した休暇だった。この様に実際にアメリカで生活してみて、初めて知識が体験を通じて身につくことが分かり、その後のアメリカ生活が、日本人だからといって不利に感じることもなかったし、アメリカ人は概ねフェアであることも理解できることとなった。


 
 
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