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Vol.020 Pepperdine University(ペパダイン大学)での苦しい学業

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  • 2023年10月29日
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村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記- Vol.020 Pepperdine University(ペパダイン大学)での苦しい学業


ジョンはフランス、パリ出身で、彼には卒業後、毎年末にパリへ行った時も面倒見てもらった。留学中は勉強を手伝ってもらったりして、卒業までの2年間近く、友人として付き合ってくれた。彼の英語はフランス訛りが強かった。私は段々と彼の発音の癖に慣れてきて分かって来たが、留学生仲間は彼の英語に苦しんでいた。最後は先生ですら、ジョンと話をすると「Masaki、今、彼は何と言ったんだ?」と通訳するように頼まれた。ジョンは相手がわかろうがわかるまいが、よくクラスでも発言するし、勉強熱心だった。彼はサンタモニカに年上のいとこ夫婦が住んでおり、よく週末に、いとこの家で朝食をご馳走してくれた。フランスパンに卵料理、スープまたはサラダのようなシンプルな朝食だったが、家庭の朝食という感じで楽しかった。彼のいとこは不動産会社をサンタモニカで経営しており、ジョンも卒業したら、いとこの会社で働いて、いずれ自分も不動産会社を立ち上げるんだと話していた。彼とは同時期に卒業し、今もサンタモニカにいる。


ペパダイン大学の授業は、大変厳しかった 特にビジネス科目以外は地獄の苦しみだった。もちろん、やむを得ないことだった。私が行っていたのは、アンダーグラジュエイト(大学)で、大学院(MBA)ではないので、ビジネス以外の一般教養科目が必須であった。ペパダイン大学は文化系の大学で、リベラルアート系の大学として、ニューズウィーク誌で全米50位内にランクされたこともあった。全米50州だから、単純に州でナンバーワンという位置づけか。特に、アメリカンヒストリー、ウエスタンシビリゼーション(西洋史)が、充実していることで有名だった。そして、この2科目で私は卒業までかなり苦しめられた。教授陣もこのヒストリーの分野では、全米でもかなりの権威者揃いだと聞いた。中でも一番苦しんだアメリカンヒストリーについて、まず語ってみたい。


アメリカンヒストリー


アメリカンヒストリーの授業はとても楽しかったが、科目の単位取得に苦しんだ。以前説明したとおり、ペパダイン大学はトライメスタ(1年を3学期に分ける)なので、1学期が4ヶ月弱になる。それゆえ、どの科目も4ヶ月以内で修了しなければならないが、アメリカンヒストリーの科目は、いつも人気でクラスの人数が40名から50名だった。つまり、この科目を年間120名から150名も取っている計算で、更に何年生で取ると決められているわけではなく1年生でも4年生でも、自分の取りたい時に取れば良い。アメリカの履修科目は総じてこの様なシステムとなっており、最終的に卒業単位を全て取れば良いことになっている。私も戦略的に考えて、他のバイブルや心理学や、ファインアート(芸術)やビジネス諸科目などを早めに取得し、ヒストリー系(アメリカンヒストリー、ウェスタンシビリゼーション(西洋史)を最後に取るようにしたので、最もきつい科目が最後に残った。


このトライメスターシステムの良いところは大学が年間を通じて運営されており、夏休みも授業が受けられるので、必要であれば4年制大学を3年間で卒業することも可能であり、私も結果的に言えば3年弱で卒業した。1年でも2年でも、早く社会復帰したかった。留学生活も楽しいが、私の場合は既に20代後半に差し掛かっている。卒業した時は既に25歳だったので、かなり焦っていた。

さて、アメリカンヒストリーに話を戻すと、授業は年間を通して行われていて、卒業間近の学期で取得することとした。他の学科のテストはマルバツ形式のものもあったが、ヒストリーは違っていた。

授業は教科書に沿って、第1章から第10章まで、イギリス人のポートマスへの入植。1620年、メイフラワー号での渡米から1776年の独立戦争、南北戦争。そして、西部劇。第2次世界大戦を経て、現代までカバーしていた。テストは各章ごと、1章、2章、3章、、、と受けて、全章10回のテストをパスしなければならない。1回のテストの合格点は80点以上で、結構難しい。途中で1回80点未満で失敗すると、また次の学期で、初めから再チャレンジしなければならない。そして、3回までチャレンジして、3回失敗すると、この科目は必須科目だから卒業できないということになり、4回目はないということだ。このテスト方式はペパダイン大学の特徴とされ、他の大学との大きな差別化ポイントになっているらしい。


私は、1回目のテストで早々と失敗しており、第2回目(次の学期)以降は順調にパスしたが、第10回目(第10章)でつまずいた。最後のテストは、太平洋戦争に関わる箇所で失敗した。アメリカが太平洋戦争(第2次世界大戦)に参戦する契機になったパールハーバーに関してだった。アメリカの教科書では、アメリカの参戦は日本が宣戦布告なしにアタックしたことが戦争に突入した原因だと教えていたが、私はそれは間違いだと回答した。

史実はハルノートというのがあって、日本からの通知はされており、アメリカが意図的に隠蔽したと既に明らかになっていた。実際はイギリスのチャーチル首相がアメリカのルーズベルト大統領に参戦して欲しいと助けを求めたが、ルーズベルトは参戦しないと国民に約束して大統領選に勝利したため、参戦の大義がなかった。そこへチャーチルが頼んで来たため、日本がパールハーバーに通告なしのアタックを理由にして参戦することになったのが事実であると私は回答したのだが、その答えがバツとされた。


テストの解答の採点は通常、ティーチングアシスタント(TA)が行っていると聞いたので、私は直接教授にアポイントメントを取り、抗議した。結果は私の勝ちだった。教授は「君の言う事は正しい。但し、アメリカの教科書は遅れており、未だにこの件は修正されていないので、テスト的にはバツだが、君はこの件を正しい答えで理解しているので、今回は君の意見を正しいとする。」と言って、最終テストをパスになった。やはり、アメリカでは正しいと思ったことを主張するべきであると強く思った。そしてまた同時に、アメリカはフェアである国だと改めて感じた。


次に、ファインアートのテストについて語りたい。ファインアート(芸術、音楽、絵画)とは非常に現実的なものだった。ファインアートは、一般に「芸術」と翻訳されるが、いわばクラシック音楽と西洋絵画である。ショパン、ベートーベン等の世界と、一方はゴッホ、セザンヌ、ピカソの世界の授業である。週2回の授業だが、1回2時間の結構楽しい授業であった。元々私は絵画も音楽も好きだったので、この授業はいつも期待を持って楽しみにしていた。

音楽(クラシック)は、実際の音楽を何度も何度も聞かせ、音楽タイトル、作曲家を徹底的に覚えさせる。そして、主だった作曲家のバックグラウンド、有名な楽曲が誕生した経緯などを教授が解説していく。このストーリーが非常に楽しかった。特にベートーベン、モーツァルト、ショパン等の作曲家の秘話が私の心を掴んだ。

絵画は主に映像を映しながら、タイトルと作者を覚える単純なものだったが、なにせ数が多く、日本では聞いたことのないものまで学んだ。中でも教授が解説する画家の1人1人について、作品の誕生した背景について、作家が育った地域の背景について等の説明が興味を引いた。これらの科目は当然の如くスコアは「A」をいただいた。ペパダイン大学で取った、最も楽しい科目となった。


ペパダイン大学はクリスチャン大学(チャーチ・オブ・クライストという宗派)で、全米でも大きな宗派の一つであると言われるので、当然、宗教科目で、オールドテスタメント(旧約聖書)と、ニューテスタメント (新約聖書)である。アメリカでは、ヨーロッパに比べて教会に行く人が多い。日曜日の午前中45%から50%という人や家族が、自分の属しているセクトの教会のミサに行く。男性がスーツで、女性が外出着で、子供まで正装して行く。アメリカに来るまで、これほど多くの人が教会へ行くと知らなかった。ヨーロッパでは(特に、フランス、イギリス等)かつて日曜日は教会に行く日で、小売業が営業禁止した「ブルーロー(Blue Law)」という法律があったが、アメリカにはそのような法律がなかった。それでも一般的に日曜日の午前中は休みの小売業が多かった。

学校では他の国から来たと言うと、みんなその国の宗教について聞きたがった。日本は伝統的に仏教だと聞くが、神道とどう使い分けているのか等を聞いてくる。また、必ず聞かれたのは武士道の新渡戸稲造と、禅の鈴木大拙のことだった。特に鈴木大拙についてはヨーロッパでも有名で、仏教を英語で勉強する時に必ず聞かれるが、私はアメリカでこの人物について初めて知った。そして宗教科目の卒業論文では、彼の著書に大変世話になった。宗教科目は外国人にとって非常に難しい。そこで、教授のサジェスチョンで、仏教とクリスチャニティーの違いについて書いたらどうだ。ということになり、鈴木大拙の本をかなり参考にした、そして、この科目は無事にパスした。


最大の難関、ウェスタンシビリゼーション


さて、最も大変だったのはウェスタンシビリゼーション、つまり西洋史であった。アメリカのルーツは元々イギリスだから、イギリス、フランス、ギリシャ、イタリア等のヨーロッパの歴史、文学等を学ぶもので、自国のアメリカ史と同様に力を入れている。西洋史の範囲はかなり広く、教科書の厚さが5㎝もあり、辞書の様に薄い紙に小さな文字で書かれている。中には世界中の有名な小説を読めと言わんばかりに、各国の代表的小説も多かった。どれほどのアメリカ人学生がこの科目を取ったか分からないが、最初にこの科目に挑戦した時はすぐギブアップしたのだが、卒業までには、いつかは履修しなければならないことも知っていたので、最後まで先延ばしにしていたのが良くなかった。この必須科目は絶対に取らなければ卒業できない。そして最後の最後まで先延ばししたため、いよいよ最後に取ろうと思った時に問題が起こった。


卒業直前まで先延ばしにした結果、最後の学期にこの科目が休みで、授業がやっていないことがわかった。つまり卒業が1学期遅れてしまうことになるが、それは苦しい。そこで、スチューデント・アドバイザーのジェームス・アトキンソン教授に相談した。留学生でお金もないし、学期を延ばすわけにもいかない。どうしたら良いのか?代替科目がないのか?と、相談してみた。彼が教授会にかけてくれたからか?「それならば」ということで、代わりに哲学(フィロソフィー)を取るようにと言われた。広い選択肢は示されなかった。

哲学を英語で学ぶのか・・・と、また心配になったが、やるしかなかった。しかし、これが結果としては成功だった。哲学の科目を取る人は全員が哲学科の学生たちだったので、授業の第1日目に教授が学生約10人のクラスで「Masakiは、哲学科の学生ではないが、卒業に必要とされる学科が、今期オファーされない(授業がない)ため、代わりに哲学の科目を取らされている。この科目が取れなかったら、今期の卒業はなくなる。何とかみんなで助けてやって欲しい」と全員に伝えた。そして、ティーチング・アシスタントを中心に、私への支援体制ができ、テストがほとんど毎週行われるが、その度に助けてくれた。

テストはほとんどPop Quiz(ポップクイズ)といって、小論文形式のテストが毎週行われた。その度にテストの傾向、特にこの部分を勉強しておけとか、予想問題など、みんなで助けてくれて、初めの頃は5段階のスコアで、CやDが多かったが、徐々にC、C+、Bへと回数を重ねるごとに上昇していった。最後にはB-となり(実際にはマイナスは付かないので)、最終的にはBに上げてくれた。そして、無事、卒業の単位が取れる結果となった。教授は、本来はBスコアではないが、テストの度に少しずつ上がって行ったので努力が見られると判断してBスコアをくれたのだった。最後はクラス全員が「おめでとう!」と言って喜んでくれたのだった。

 
 
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