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Vol.022 アメリカ留学を支えたハンバーガーにまつわる話

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  • 2023年11月19日
  • 読了時間: 7分

村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記- Vol.022 アメリカ留学を支えたハンバーガーにまつわる話。


1971年9月、アメリカ、カリフォルニア州のロスアンジェルスに渡った。アメリカに滞在した45年間、そして今日、日本に帰国してもなおハンバーガーにお世話になっている。今でもハンバーガーなしの生活は考えられない。今日は、このハンバーガーにまつわる話をしてみたい。以前のブログにも記述したが、ロスアンジェルスに着いて最初2週間は、ダウンタウンの西側、メキシコ人街にある「カメオハウス」という安いホテルに滞在した。

ロスアンジェルスの空港でタクシーに乗り、「ロスアンジェルスで最も安いホテルに連れて行ってくれ」と頼んで連れて行かれたホテルというよりは、出稼ぎのメキシカン寮みたいな宿だった。このホテルにレストランといえば、ハンバーガーレストランが1ヶ所あるのみで、1日中開いているわけではなく、朝・昼・晩と開いている時間が決められていた。メニューのハンバーガーとメキシカンフード、タコス、トルティーヤなど、ごく限られたものだけだった。私はこのハンバーガーを毎日毎晩食べる生活を余儀なくされた。他に食べるものが思いつかなかったからである。 初めて食べたハンバーガーは独特な油の匂いで、始めは少し抵抗があったが、それもすぐに慣れてしまい、徐々にこの匂いが好きになっていった。料金はハンバーガーとフレンチフライが付いて25セント。当時の日米為替レートは1ドル365円だから、91円程度と安かった。そしてこの時に決意した。十分なお金を持っていないのだから、暫くは1日1ドルで生活しなければと。実際、渡米して数ヶ月は1ドルで生活してきた。

ハンバーガーが25セント。バス代、交通費が25セント、タバコ代が25セント等々で何とか生活していた。その後、ウェストロスアンジェルスに移っても、UCLAに行き出してからも、何とかこの1日1ドル生活を続けていた。ハンバーガーはどこに行っても25セント程度だった。

マクドナルド、ウェンディーズ、ビッグボーイハンバーガー、バーガーキング等、皆同じような値段だった。後にペパダイン大学にトランスファーしてからも学食レストラン、マリブ市街地のコーヒーショップで食べるハンバーガーも皆25セントだった。このように食べる方の生活はハンバーガーがあったために、かなり節約できただけでなく、毎日の主食として活躍してもらった。


ペパダイン大学を卒業して(1975年の秋)ニューヨークへ移った後も、タイムズスクエアにあるマクドナルドのビッグマック、バーガーキングのワッパーをよく食べた。今、日本に帰国して日本食中心の食生活へと少しずつ戻ってはいるものの、やはり週に一度はレストランでハンバーグ定食を注文する日が続いている。一時は日本に合わせて魚料理に変えた時があったが、今はまた肉食に徐々に戻っており、体調がすこぶる良くなっていると医者にも言われた。


さて、最近よく聞く「ビッグマック指標」なる言葉がある。物の値段の国際比較する上で、マクドナルドのビッグマックの例で語られる。ビッグマックは世界中で品質が同じで価格の差が生活実態を伴うので、高低差を比較するのに分かり易い。このビッグマック、日本では450円程度で、世界的に40位から41位であり、ブラジル、ベトナム、メキシコ、コロンビア、タイより安い。逆にアメリカ、カナダ、スウェーデン、ノルウェー等では日本の2倍以上、700円から800円。スイスにいたっては925円。日本は金持ちの国ではなくなった、豊かな経済大国ではなくなった。これから発展する途上国や後進国と言った方が妥当。


私が渡米した1970年代初期、日本はバブル経済の最中でGDPもアメリカに次いで世界第2位、1人当たりのGDPが1位のお金持ち国家だった。しかし今ではGDPのランキングで(1人当たりGDP)で27位に下がり、韓国にも抜かれており、日本は貧国化してきている。平均年収でもアメリカ、アイスランド、スイス等は700万円以上だが、日本はわずか400万円台になってしまった(アメリカが734万円。韓国は440万円、日本は406万円)。最低賃金ではオーストラリアが1,365円、韓国は942円、日本は868円で、これも日本が低い。故に、若い人がワーキングホリデーでオーストラリアへの移住が増えている。


日本の経済は悲惨だ。GDPがかつてないほど低下しても、未だ有効な経済対策が打てない。全てがパッチワーク経済の連続である。逆ゆでがえる現象にあるとも言える。少しずつ、少しずつ生活が悪くなっているのも分からない間に、どんどん生活が苦しくなっていく。そして、生活保護者が増え、日本経済全体が悪化していく。経済界も二世、三世経営者が増えて、新しい企業戦略も生まれてこない。人口減少も、少子高齢化も歯止めがかからない。年金問題も解決できず、内閣支持率も下がる一方で、岸田総理は人気取りのためのパッチワーク政策のみを発信をしている。日本には新しいリーダーを必要とされているが、なぜか現れない。


私が渡米した1970年初期の日本でのビッグマックは、確か1,000円を超えていた。銀座三越百貨店の1階にオープンしたマクドナルドを見に行ったが、高すぎて入れなかったのを思い出す。この店は日本の企業家、藤田 田氏が、アメリカのマクドナルドと提携し、日本に持ち込んだものだった。私は2000年の初め頃、ロスアンジェルスからシカゴ近くに出張した際にセントラルパーク、サウスにあるパークレーンホテルで藤田 田氏と偶然会って、1回だけ朝食をご一緒させていただいたことがあった。彼はお供も連れずに1人で来ていた。ニューヨークからシカゴへ行って、マクドナルド本社に行き、新しいメニューの導入、販売の許可を得るための出張だと聞いた。

当時、日本の競合、モスバーガーがライスバーガーを出していたことから、マクドナルドもライスバーガーの販売許可を得ようとしていたのかも知れなかったが、その当時マクドナルドがライスバーガーを販売したという話を聞いていないので、何の商談で来ていたのかは分からずじまいだった。(その後、ごはんバーガーを販売)藤田 田氏は、当時考え得る限り、最も好戦的、且つ煽動的経営者だったかもしれない。彼は「日本人が背が低く黄色い肌をしているのは、2000年間魚と米しか食べて来なかったからで、マクドナルドのハンバーガーとポテトを1000年食べ続ければ、背は高くなり肌も白くなり、金髪になるだろう」と言った。


ハンバーガーはアメリカの発明品だが、語源はハンブルグ(ドイツ語)から来ているのは誰もが知っているところである。一説によると13世紀のモンゴル族が細かく刻んだ馬肉を鞍の下に入れて馬を乗り回し、ハンバーグのようなものを食料にして襲撃に出かけたという説もある。

アメリカではオクラホマ州のオニオンバーガー、ミシシッピ州のスラブバーガーも出現して地元では有名である。いずれも褐色の牛挽肉のパティーをバンズの上に乗せてバーガーが誕生したという。

このバーガーも2003年頃、高級バーガー紛争が起きたことがあった。ニューヨークで有名だったフレンチレストランのシェフ、ダニエル・ブールーが不況の最中に、世界一高価なハンバーガーの販売を始めた。2001年タイムズスクエア、私の住んでいたマンションのすぐ近くのレストラン、DBビストロ・モデルヌでフォアグラとショートリブ入りのミートボールを挟んだ29ドルのDBバーガーを出した。冗談のつもりが名物料理となった。また、オールド・ホームステッドレストランはグールーの成功を妬ましく思い、巨大な20オンス(567g)の神戸牛バーガーを思いつき、41ドルで売り、客を引き寄せた。この頃ニューヨークの10ヶ所以上のレストランが真似をしたが、長くは続かなかった。今では一部のステーキレストランで、ハンバーガーステーキとしてメニューに残している程度である。

さて、話を自分自身に戻すと、ニューヨークのデザイン会社CBX社を立ち上げて、暫くしてマクドナルドUSAの仕事が舞い込んで来たことがある。当時は、本社が既にカリフォルニア州からイリノイ州、シカゴに移っていた。マクドナルドも既に世界で、100カ国以上に40,000店の店舗を展開するようになったが、新しい時代に則した店づくりを模索していた。そして、アーチのロゴを洗練させたデザインに変え、コーヒーの高級化を合わせ「McCafe」という名のアップスケール化を目指した店舗デザインを行った。この新店、デザインの店舗は未だ日本で導入されていないが、今、アメリカでは新しいマクドナルドとして展開が始まっている。

 
 
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