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Vol.005 Gregとの出会い

  • MY
  • 2022年2月3日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年6月6日

村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記-Vol.005 Gregとの出会い


アメリカに渡って、UCLAの入学を待っていた1972年から1973年頃、日本の夏休みの頃だったと思う。当時、UCLAからで日本の夏休みを利用して英会話研修で来ていたグループの受け入れ事務局を行っていた一人、Gregとこの時に知り合い、彼とはその後生涯の友となった。


ロスアンジェルスでTMIを創業した時、一時期パートナーであり、Gregが個人的理由でニューヨークへ移った後もニューヨークで付き合っていた。彼はUCLA在学中から結婚しており、長いブロンドの髪をした美女、フランシスと結婚していた。Gregは身長187cmの長身で、やはりブロンドの髪をして、口ひげもはやしていたが、それが大変良く似合っていた。


彼の出身地はテキサス州のサンアントニオ市で、彼の父親は米空軍のパイロットだった。従って、一時期日本の三沢基地に従軍したこともあって、Gregは後に日本に興味を示し、UCLAで日本史を学んでいた。特に、幕末から明治維新にかけて、特に興味を持っていたようだ。彼は日本語を話すだけでなく、ひらがな、漢字、カタカナと一通りの日本語の読み書きもこなす。また、UCLAの時代には一時、アメリカ人向けのアメリカの青年学校があって、日本語の勉强のため一年という短期で留学して、その時にかなり日本語を学んだと言っていた。


私がGregと会ったのは、まさにUCLAで語学んで苦しんでいた1973年の夏だった。授業とは別に学費の捻出で考えあぐねている時だった。UCLAが夏の休暇を利用し、日本から大量の日本人学生、恐らく100人単位で短期留学生を受け入れて、学生寮に泊めて英会話の教室を開催するという事業を行っていた。そのアメリカ側の事務局の仕事の一つとして、土、日曜日に学生を連れて、サンタ・バーバラ、サンディエゴ、キャリコ(西部劇のゴーストタウン)等をドライブして、説明できるドライバーをアルバイト(パートタイムジョブ)出来る人を探していた。それに私が応募したのが、Gregとの初めての出会いだった。それから彼とは生涯付き合っていくこととなる。


私はレンタカー会社に行って、10~12人乗りの(クライスラー)バンを借り、10人程の学生を乗せ、サンタ・バーバラ、サンディエゴを土、日のアルバイトで運転しながら、ガイドをするアルバイトを週末ごと任されることとなった。

ガイド料は車のレンタカー代も含む料金が請求でき、結構良かったと記憶している。ほんの夏の間だけのアルバイトだったが、非常に助かったのを覚えている。この仕事は日本の旅行社の都合でなのか、2年程で(二夏)終わってしまった。


南カリフォルニアはガイドをしながら勉強するのが楽しめるところだった。スペインの影響が色濃く残る歴史があるからだと思う。元々、西部劇が東部から西部へと繰り広げられ、1834年、我々の世代、ジョン・ウェイン主演の映画、アラモの砦で有名になった。

テキサス州、サンアントニオからストーリーが始まる。元々、テキサス州は当時、メキシコの領土だったが、住民の大部分はアメリカ人であったため、テキサスの独立運動が起き、アメリカ人の有志180数名が、サンタ・アナ将軍率いる大軍と勇敢に戦い、全員が討ち死にするというストーリーだった。


その後、アメリカ連邦軍が参戦し、サンタ・アナ将軍を生け捕りし、メキシコとの交渉により、テキサス州以下、以西のニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア、ネバダ、オレゴン州等々がアメリカ合衆国領土となった。これらの州は、元々メキシコの国だったため、カリフォルニアはメキシコの宣教師が海岸線を開拓して進み、教会を建てて街づくりを行った。従って、西海岸の都市は皆、スペイン語から来ている。サンフランシスコはセントフランシスからだった。サンノゼはサンホセ、サンルイスオビスポ、サンタ・バーバラ、サンタモニカ、サンディエゴ等々である。ロスアンジェルスはロスエンジェルス(天使たちの村)だった。この様に西海岸の歴史だけでも結構話すことがたくさんある。(TMIの米国研修のバス移動中はビジネスセミナーだけでなく、各訪問の州や都市の歴史を話すのが名物になっている)


さて、Gregはというと、その後UCLAを卒業し、カルフォルニア州の内陸、ロスアンジェルスから車で約一時間半ほどのリバーサイド市にあるクレアモント大学院へと移り、2年間は離れ離れになったが、彼がピーター・ドラッカーがクレアモント大学院のビジネス大学院で教鞭をとっていると教えてくれた。ロスアンジェルスからクレアモントまで車で約1.5時間程度なので、会いに行けば、行けない距離ではない。果たして、彼の授業に他の大学の学生が潜り込めるのだろうか?と真剣に考えたが、実行に移す勇気はこの時にはなかった。しかし、彼の情報でドラッカー先生が意外に近い距離に居ることがわかって、なにか同じところの空気を吸っているのが嬉しくなった。そして、Gregからの重要な情報、彼がペパダイン大学で短期で講義を行うということを知らされた。いつか、近く会えるかもしれないという期待があった。

 
 
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