Vol.010 アメリカへ向かう
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- 2022年6月1日
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更新日:2022年6月6日
村上回顧録(禁断のビジネスエンターテイメント)留学記-Vol.010 アメリカへ向かう
アメリカへ向かう
1971年9月、羽田空港から家族と数人の友人に見送られ、アメリカへ向けてパンナム機(パン アメリカン航空)で、サンフランシスコへ向けて出発した。何を着て行ったら良いか見当もつかなかったので、とにかくサラリーマン時代と同じ、ブルーのスーツを着て、パンナムからもらったバッグをかけて出発した。生まれて初めての飛行機の旅だった。そして、かなりの時間、窓から外の景色を見て過ごした。
気持ちは不安とワクワク感が同時にやって来た感じであった。
私はロスアンジェルスの空港に着いた時、そこから先の行動を決めてこなかったため、空港に着いた時、タクシーに乗り、ドライバーにロスアンジェルスで一番安いホテルに連れて行って欲しいと言って走り出した。サンディエゴフリーウェイ、サンタモニカフリーウェイと405号線を北に、そして5号線を東へ乗り継いで30分程走って、ロスアンジェルスのダウンタウン、高層ビル街の手前、マッカーサーパークに近いメキシカン街で降りて、近くの「カメオハウス」(Cameo House)の前で降ろされた。はっきり覚えていないが、空港からホテルまで10-15ドル位だったと思う。タクシードライバーは気を利かせ、私をタクシーで待たせて、ホテルの中に入り、部屋に空きがあるか否かを確認してくれた。そして、Good luck!!と言って別れ、私はこのホテルにチェックインした。これがロスアンジェルスに着いた第一歩となって、ここに約2週間滞在した。
翌日から早くも時差(タイムラグ)に悩まされた。初日は疲れているはずなのに、なかなか寝付けない。やっと寝たと思った翌朝、目が覚めた時には、既に夕方になっていた。その日はホテル内のハンバーガーショップで夕食を食べ、ホテルの中で過ごした。「明日は早起きしよう」と思って寝るが、2日目も同じ繰り返しだった。このホテルはホテルというよりも、ロスアンジェルスに出稼ぎに来たメキシカンの寮の様だった。夜になると、誰彼なくギターを弾く音色が聞こえてくる。そして、コーラスも入り、聞いていてとても楽しかった。そして、また寝られない夜が続くことになった。こんな日が3,4日続いて、さすがにこれではいかん。明日からは時差を修正しようと決心し、朝、頑張って起きた。そして、1ブロック離れたところにあるグロサリーストアに行き、パン、牛乳、チーズ等を朝食用に最低限のものを買って、近くのマッカーサーパークへ行き、パークで食べ、そこでホームレスと初めて話をした。アメリカに来て、初めてやる気を起こした瞬間だった。
ホームレスにロスアンジェルスの地図を見せ、サンタモニカに行きたいが、どのくらい時間がかかるのか?と聞いたが、バスで行く時間しか答えが返ってこない。自分は徒歩で行く時間が知りたいのだが。と言うと、Are you kidding?(本気か?)と言い返してくるだけで返事にならない。バスで1時間半もかかるところまで歩いて行くなど本当に狂っているとしか言いようがなかったのだろう。私はとにかく時間はある。1日かけて歩いてみようと決心した。地図を広げながら、ウィルシァー通りを歩き出した。この通りは今後毎日の様に通る私の生活道路となった。そして、後にTMIの事務所を持つこととなった大通りである。そして、この通りはあの日本で見たテレビ映画「ルート66」の出発点となった通りでもあった。
私は逆にダウンタウンからメキシコ人街、マッカーサーパーク、コリアンタウン、ベバリーヒルズの一角を通り、高級ショッピング街、ロデオドライブを通り、UCLAのあるウエストウッドを歩いた。さすがサンタモニカまでは遠い。15マイル(約24km)もあろうかと思った。それで次の日は途中までバスで行き、UCLAから歩き出し、ウェストロスアンジェルスからサンタモニカまで歩いた。この2日間歩いて、人と会ったら道を尋ねながら歩こうと思っていたが、歩いている人を見つけるのが大変だった。仕方なく、ウィルシァーのバス停で待つしかなかった。ロスアンジェルスはまさに車社会だったと改めて身をもって体験した。
バス停で人に会うと、すぐさま「How can I get to Santa Monica?」、「How do you go to Santa Monica?」と、幾つかの用意したフレーズで尋ねてみたが、答え方は皆異なった。教科書通りの英語は殆ど返ってこない。これが、本当の英会話なんだとすぐに気づいた。日本で英語がうまくならないのは、殆ど紙(教科書)ベースで学ぶからだ。英会話学校でもワンパターンの質問や答えしか教えない。学校・授業を離れたら日本語だけで生活している。英語(会話)は生活の全ての場面におけるパターンを英語を話す環境に身を置かねば、覚える術はないと改めて思った。